Umbra誕生

1977年、私は25歳の職人兼R&Bバンドのベース奏者で、地元トロントを拠点にちっぽけなバーで演奏活動をしていました。

あちこち旅していた私は、旅先で旧友を訪ねることがあり、ある時私は、昔よく一緒に地下室でジャムセッションをしていた幼馴染、ポール・ローワンの居場所を探してみました。彼は、オタワの出版社でグラフィックアーティストとして働いていました。

バンド仲間のヴァル・スティーブンスと共にポールを訪ねると、部屋の窓には彼が作った、模様がプリントされた紙製のシェードがありました。彼は、そのシェードが友人達にとても好評なので、商売として売る手伝いをしてくれないかと持ちかけてきました。私がその一年前に起業して、ミュージシャンの機材運搬用カスタムロードケースメーカー向けパーツの小さな会社を起していたのを知っていたからです。会社の収入は当時の私にとって助かる副収入でした。

私は彼に、今の自分は音楽とビジネスの二束のわらじで手一杯で、とても力になれるとは思えないと言いましたが、その時バンド仲間のヴァルが、私の人生を変える一言をくれたのです。彼は、「僕はピアノを弾くことしかできないけど、君にはこれだけのチャンスが巡ってきてるじゃないか。よく考えた方がいいと思う」と言いました。彼が私の音楽的才能をどう考えていたかは分かりませんが、ポールは交換条件として、もし私がシェードビジネスのパートナーとして協力すれば、私のTCHロゴやカタログ、名刺等を作ってくれると言い出しました。なかなか魅力的な申し出だったので、請けることにしました。

トロントに戻った後、私は紙のシェード発売に必要な資金を4万ドルと算出しました。ポールは、1万ドル貸してくれれば自分は会社の権利を25%所有して、今の仕事を辞めてトロントに来ると言いましたが、そんなお金は私にはありませんでした。父に頭を下げましたが、馬鹿げていると相手にしてもらえませんでした。次に、父の銀行でもあるトロントのダウンタウンの銀行に行って――ちなみに、今Umbra旗艦店がある場所からほんの2ブロックの場所にその銀行はありました――知り合いでもある貸付担当のアシスタントに相談しました。アシスタントに聞かれた一般的な質問の答えは散々なものでしたが(連帯保証人は?いません。持ち家は?ありません。担保は?何もありません)、どうにか融資が承認され、1980年1月にUmbra Shades Ltd.が法人登録されました。

さて、Umbraという社名は私のガールフレンドがつけました。私より学のあった彼女は「シェード(陰)」という言葉のラテン語訳を提案し、響きが気に入ったので私達の会社はUmbraと命名され、今もその名称でやっています。

光を適度にさえぎり、また色あせない紙を探したり、そんな紙に印刷できる印刷機を探したり、色々と課題にも直面しましたが、トロントでどうにか取り扱ってくれる販売先も見つかりました。ポールが最初にデザインしたのはヤシの木で、次は北斎の波の絵、それからストライプとデザインが変遷して行きました。

父は私がやっと「場末のバーで聴かれてもいない音楽を演奏する」ような生活から抜け出したことを喜び、いくばくかの倉庫スペースを提供してくれました。とはいえすぐに追い出され、以降1999年までの間あちこちの工業用地を転々することになります。

Umbraは地元の独立系デザイン・日用雑貨店には好評でしたが、あらゆるサイズと色の商品を全て在庫し、店頭に並べるのは私達にとっても店舗にとっても非常に難しく、4万ドルの融資はまたたく間に底をつき、更にロードケースのパーツ会社からの利益さえ吸い上げていきました(幸いにも私はまだ演奏を続けていましたが)。

私達はトロントとモントリオールで商品を売り始めたばかりでしたが、私はアメリカで大学に通った後仕事と音楽活動をアメリカでしていた時期があったので、試しにニューヨークに進出してみないかと提案し、シカゴの家庭用品・日用雑貨展示会に出展することにしました。1982年に不況の波が襲い、利子は18%になろうかという勢いでしたが、同時にCrate&BarrelやPottery Barn、The Container Storeといったデザイン重視の専門店の波も来ていました。これらの店に私達のカジュアルでモダンなデザインでありながら手頃な価格、という明確なコンセプトの商品が受け入れられ、私達のアイディアやアプローチは好感触でした。しかしここで問題が浮上しました。これらの小売店の多くは窓のシェードの取扱が難しかったのです。そこで私はポールに、窓ではなく壁や棚を飾れる商品があれば、僕達は生き残れると提案しました。

私達にとってのターニングポイントは、ウィンドウシェードの端材をラミネートして作ったランチョンマットの開発でした。この商品の開発に要した時間は一時間です。当時ニューヨークのおしゃれな小売店として人気だったHenny Bendel’sが、洗練されていて素晴らしいと絶賛し、製造した全点が売れました。

次に私達は端材のプラスチックやフォーム、壁材を使って、当時新しい技術だった電池式の壁掛け時計を作りました。

Umbra は1983年に黒字化し、私は自分へのご褒美としてポルシェを買いました。